大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成3年(ワ)16201号 判決

原告

甲野二郎

右訴訟代理人弁護士

吉澤雅子

田中泰治

被告

須田健三

被告

株式会社須田自動車整備工場

右代表者代表取締役

須田健三

右被告ら訴訟代理人弁護士

江口英彦

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告らは、各自、原告に対し、金二九九五万六三五五円及びこれに対する平成二年六月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告が被告須田健三(以下「被告須田」という。)と被告株式会社須田自動車整備工場(以下「被告会社」という。)に対し、自己の財産の管理を委託する旨の契約を締結したとして、当該契約(被告会社については、更に労働基準法二三条の労働者の権利に属する金品の返還義務の規定)に基づき未払の保管金(弁済期経過後の遅延損害金を含む。)の返還支払を求めた事案である。

一  争いのない事実

1  被告須田は当初は個人商店で、昭和四八年一一月五日以降は被告会社代表取締役として自動車整備工場を経営している。原告と被告須田とは従兄弟の関係にあり、被告須田の母須田まさよは一一人兄弟の二番目、原告の父甲野乙一は五番目である。

2  原告は、当初、被告須田に雇用され、後に被告会社に雇用されたが、平成二年五月、被告会社を退職した。

3  原告は、昭和五九年七月二二日、丸義興産株式会社から代金一四六三万五〇〇〇円で別紙物件目録(略)記載のマンション(以下「本件マンション」という。)を買い受けた。

4  原告は、本件マンションを第三者に賃貸し、その賃料を住宅ローンの返済に充てていた。

二  争点

1  原告が被告須田に対し、自己の財産の管理を委託したかどうか。

(原告の主張)

原告は、昭和四六年一月、被告須田の経営する自動車整備工場に就職する際、被告須田に対し、就職後の原告の給料及び賞与からの積立金及びこれを運用して取得した財産の雇用期間中の管理を被告須田に委託した。

(被告らの主張)

原告が給料、賞与の一部を適宜預金し、その預金通帳及び印鑑を被告須田の妻須田正子に預けたことはあるが、被告須田が原告主張のような管理を委託されたことはない。

2  本件マンションに関する保管金が存在するかどうか。

(原告の主張)

(一) 原告は、平成二年一月二〇日、永沼泰彦に対し、代金三〇〇〇万円で本件マンションを売り渡した。

後記の被告ら主張の原告と須田正子との間の契約は、仮契約であって、本件マンションの所有権は須田正子には移転していない。そして、その後本契約が締結されることなく、平成二年一月二〇日に至り、原告と永沼泰彦との間で売買契約が締結され、須田正子も被告須田を通じて実質的に右仮契約と両立しない右売買契約に関与したのであるから、原告、須田正子間の右契約は、解除されたというべきである。

(二) したがって、原告は、本件マンションの売買により、売却代金三〇〇〇万円から仲介手数料九六万円を差し引いた残額二九〇四万円を取得した。被告須田は、原告のために右二九〇四万円を保管している。

(被告らの主張)

(一) 原告は、昭和六三年九月一〇日、須田正子に対し、代金一五〇〇万円で本件マンションを売り渡したものであり、原告主張のような売買契約はない。

(二) したがって、原告主張の保管金は存在しない。

3  本件マンションの賃料と住宅ローンとの差額の累積金が存在するかどうか。

(原告の主張)

(一) 本件マンションの賃料は一か月につき昭和六〇年四月三〇日支払分以降昭和六二年二月二八日支払分までは六万五〇〇〇円、同年三月三〇日支払分以降平成元年二月二八日支払分までは六万八〇〇〇円であった。

(二) 被告須田は、原告のために、右賃料の金額より毎月のローン金額を差し引いた差額(昭和六〇年四月三〇日支払分以降昭和六二年二月二八日支払分まで二三回にわたり毎回の差額一万七九六五円合計四一万三一九五円、同年三月三〇日支払分以降平成元年二月二八日支払分まで二四回にわたり毎回の差額二万〇九六五円合計五〇万三一六〇円)を原告名義の預金として保管していたが、その金額は総額九一万六三五五円(利息を含まない。)になる。

(被告らの主張)

(一) 本件マンションの賃料は原告の預金口座に振り込まれ、そこからローン返済金が自動的に引き落とされる仕組みになっていたから、被告須田が賃料とローン返済金との差額を管理する状況にはなかった。

(二) 右預金口座には、賃貸に伴う費用(仲介料、修理代等)の支払など、原告のための種々の入出金があり、賃料とローン返済金との差額を机上計算してその返還を求めるのは全く理由がない。

4  平成二年六月二日、原告と被告須田との間で、一切の精算が完了したかどうか。

(原告の主張)

被告須田は、平成二年六月二日、原告に対し、原告の給料及び賞与の積立金として保管していた一三一四万五一五六円を返還したにすぎず、その余の保管金については精算を完了していない。

(被告らの主張)

被告須田及び須田正子は、平成二年六月二日、原告に対し、一切の精算金として約一六五〇万円を支払った。原告は、何ら異議をとどめず、これを受領し、一切の精算を完了した。

5  被告会社に被告須田と同様に金員返還義務があるか。

(原告の主張)

被告会社は、原告から、被告須田と同内容の委託を受けた。そうでないとしても、被告会社は、使用者として労働者の退職する場合において、労働基準法二三条に基づき、権利者の請求があった場合、七日以内に労働者の権利に属する金品を返還しなければならないところ、原告は、被告会社に対し、平成二年五月三〇日ころ、原告の預金通帳や印鑑を返還してほしい旨などを述べて、原告の権利に属する金品の返還を請求し、同月三一日退職した。

したがって、被告会社は、遅くとも同年六月七日までに原告の権利に属する金員である二九九五万六三五五円を支払う義務がある。

(被告らの主張)

原告が被告会社に対して右金員を請求し得る法的根拠はない。

第三争点に対する判断

一  争点1について

1  証拠(〈証拠・人証略〉)によると、原告は、軽度の精神薄弱(四度)であるが、中学校卒業後、クリーニング店に勤務していたところ、昭和四五年一月、被告須田から同被告の経営する自動車整備工場で勤務するよう求められたこと、しかし、原告は勤務先を辞めたくなかったので、これを断ったが、被告須田は、昭和四六年一月にも、原告に対し、同様の要請をしたので、原告は、右自動車整備工場の勤務を辞めたときには叔父の甲野丙四郎が原告を引き取るとの了解のもとに、この要請を受け入れることにしたこと、原告は、財産管理の能力に問題があるため、その際、甲野丙四郎同席の上、自動車整備工場就職後に支給される給料(賞与を含む。)の一部を積み立て、就職期間中、これを運用、管理することを被告須田に委託し、同被告はこれを承諾したこと、そこで、原告は、同年二月一日から、被告須田の自動車整備工場で勤務するようになったこと、以上の事実が認められる。

2  右事実によると、原告と被告須田との間において、(人証略)の証言のように給料の半分を貯金するなどの具体的な取決めがなされたかどうかはさておき、被告須田が、原告の就職期間中、原告の給料(賞与を含む。)の一部を積み立ててこれを運用、管理する旨の財産管理に関する委託契約が成立したことが明らかである。

二  争点2について

1  証拠(〈証拠・人証略〉)によると、原告は、昭和六三年九月一〇日、被告須田の妻須田正子との間で、本件マンションを代金一五〇〇万円で同人に売り渡す旨の契約を書面(〈証拠略〉)により締結したこと、同契約においては、右売買代金の内金一〇〇万円を同日支払うものとし、残金については、当時、本件マンションには賃借人菅尾某が居住していたので、その退去後に精算するものとし、それまでの住宅ローンの返済は原告が行い、その間の賃料は原告が取得するものとされたこと、原告は、右契約締結の日に内金一〇〇万円のうち一〇万円を現金で受け取り、同月一二日、残りの九〇万円を原告の銀行預金口座(〈銀行口座略〉)への入金により受け取ったこと、須田正子は、平成二年一月二〇日、永沼泰彦に本件マンションを代金三〇〇〇万円で売り渡したこと、以上の事実が認められる。

なお、原告は、(証拠略)の成立を否認しているが、右各号証に記載された原告の氏名が原告の自署によるものであること、原告名下の印影が原告の印章により顕出されたものであることは当事者間に争いがないので、(証拠略)は真正に成立したものと推定することができる。原告は、(証拠略)の一部の記載が後日なされたものである旨を供述しているが、被告須田の本人尋問の結果に照らすと右供述は採用することができない。

2  右事実によると、原告は、昭和六三年九月一〇日、須田正子に対し、本件マンションを代金一五〇〇万円で売却し、その後、同人が更に永沼泰彦にこれを代金三〇〇〇万円で売却したものであり、そうすると、原告の本件請求のうち、原告が平成二年一月二〇日本件マンションを永沼泰彦に代金三〇〇〇万円で売却したとして、その代金額から手数料を控除した残額の支払を求める請求はその前提を欠き、理由がないといわなければならない。

もっとも、原告は、原告と須田正子との契約が仮契約であると主張しているが、原告本人の供述によると、原告が仮契約であると考える根拠は、売買契約書が手書きであるなど形式的な面を捉えているにすぎず、それ以上のものがあるわけではない。また、原告は、原告、須田正子間の契約は解除されたと主張しているが、この主張は、原告と永沼泰彦との間で契約が成立したことを前提とするものであるが、その前提自体採用することができないから理由がない。しかも、原告自身、被告会社を退職するまでは本件マンションを須田正子に一五〇〇万円で売却したとの認識を持っていたことは、原告本人尋問の結果から明らかである。そして、証拠(〈証拠・人証略〉)によると、〈証拠略〉(本件マンションについての原告と永沼泰彦との間の売買契約書)が作成されたのは、本件マンションの登記名義が原告のままであったことから便宜的にそのようにしたにすぎないこと、永沼泰彦に対する移転登記も中間省略の方法により行われたものであることが認められるから、証拠上、特に矛盾があるわけではない。

三  争点3について

1  証拠(〈証拠・人証略〉)によると、本件マンションの賃借人菅尾からの賃料は、毎月、原告名義の前記預金口座に振り込まれており、本件マンションの住宅ローンの支払も同様に毎月同口座から引き落とされていたこと、被告須田は、須田正子に同口座の預金通帳、届出印を保管させて個々の入出金の手続をさせていたが、入出金の指示は自らが行い、預金残高等の内容についても確認、把握していたことが認められる。これによると、原告の右預金は、被告須田が管理していたものということができる。

2  原告は、右預金口座で管理されていた本件マンションの賃料と住宅ローン返済金との差額の返還支払を求めているのであるが、証拠(〈証拠略〉)によると、右預金口座には、右賃料以外の入金がある上、出金についても原告の結婚関係の費用、本件マンションの管理費など、住宅ローンの返済以外にも原告の負担すべきものがあることが認められ、そうすると、原告主張の差額の存在自体が疑わしいというべきであり、さらに、平成二年六月二日に原告に返還された金員との関係も明らかではないから、結局、原告の右請求を認めることは無理というほかはない。

四  争点5について

原告は、被告会社との間でも財産の管理委託契約が成立した旨を主張しているが、本件全証拠を検討しても、これを認めるに足りる証拠はなく、原告との間で財産の管理委託契約を締結した被告須田が被告会社の代表者であるからといって、原告と被告会社との間でも、当然に同様の契約が成立したとする根拠もない。しかも、前記のとおり、返還の対象となる原告主張の差額の存在自体が認められないのであるから、被告会社に金員返還義務がないことは明らかである。なお、労働基準法二三条は、使用者の労働者に対する金品返還義務の存在を前提とする規定であって、右義務自体の発生原因となるものではない。

五  まとめ

以上の次第で、原告の本件請求は、争点4について触れるまでもなく、いずれも理由がない。

(裁判官 小佐田潔)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例